漢字教育士ひろりんの書斎漢字の書架
2015.4.  掲載

 「襲」と「おそう」1)

 「襲」という漢字には「おそう」という読みがある。「襲」には「襲撃」「強襲」などの用法と、「世襲」「襲名」などの用法がある。また、「おそう」という日本語にも、人に攻撃を加える意味と、人のあとを継ぐ意味とがある。
 複数の意味を持つ語は日本語でも中国語(漢字)でも珍しくないが、この例の場合、相互に関連がないと思われる複数の意味を持つ日本語と漢字があり、それらの意味が互いに一致しているわけである。これには何か理由があるのか、それとも偶然だろうか。
 「大漢和辞典」では、「襲」について字義の一に「おそふ」をあげ、二以下に「かさねる」「着る」「死者に衣をきせる」「死者に着せるえりが左まえの衣」、「おほふ」といった義をあげている。この、一「おそふ」のうちに、イ 継ぐ、ロ 受ける、ハ 及ぶ、ニ 因る、ホ 入る、ヘ 不意打ちをかける、ト おほひうつ(掩)などの細義をあげているが、この中のイ・ロとヘ・トの意味が、なぜ同じ「襲」、同じ「おそふ」に含まれるのか。

 まず漢字の「襲」について考える。
 「説文解字」では、襲は「衽(えり)を左にしたる袍(ほう=わたいれ)なり」とされ、衣服の一種である。また「字統」では、襲は龍と衣との会意文字で、死者の衣上に呪飾として龍の文様を加えたことによるといい、「字訓」では、霊を受けるために着る呪衣であり、覆うて身につけることを言うという。さらに「字通」では、「即位嗣襲のときに服するものであるらし」いとされ、春秋左氏伝の「天禄を襲く」という用例を挙げている。「継ぐ」「受ける」の字義はここからきているもののようである。 これが襲撃の意を持つようになった理由は、「襲」syuuhatuon.png(411 byte)と「侵」sinhatuon.png(446 byte)が旁紐対転の音韻関係にあり、襲が侵の字義を含むようになったためという(字訓による。発音は字通による)。
 襲撃の義は襲の字にとっては後起のものであるということになるが、大漢和辞典が引く中国古典における襲の用例には、この字が表す襲撃の態様を定義したものもある。
  凡師有鐘鼓曰伐無曰侵軽曰襲 (春秋左氏伝、莊公二十九年)
  軽行掩其不備曰襲      (春秋穀梁伝、襄注)
 前者は「鐘や太鼓を打ち鳴らして進む軍を伐と言い、鐘や太鼓のないものを侵と言い、軽いものを襲と言う」、後者は「軽い装備で敵の不備な点を攻めるのを襲という」といった意味である。まさに「不意打ちをかける」にぴったりで、奇襲、急襲というイメージである。
 日本に「襲」の字が渡来するころには、中国ではこの字を襲撃の意味で使用することも広く行われるようになっていたようだ。

 次に「おそう」について、「日本国語大辞典」で調べてみる。
 同辞典では、「おそう」に「襲」と「圧」の両漢字をあて、語源を「動詞『押す』の未然形に反復・継続を表す接尾辞『ふ』が付いて音が変化した語」と説明するが、先行書の説として、「オシオオフの約か(大言海)」「オシソフの義(名言通)」なども紹介している。
 その語義は、①として「上から押し付ける、圧する」をあげ、日本書紀神武即位前紀己未年2月の「皇軍(みいくさ)、葛(かずら)の網を結(す)きて、(土蜘蛛を)掩襲(おそ)ひ殺しつ」や、土佐日記の「船はおそふ、海のうちの空を」という用例をあげている。次に②として「不意に敵に攻めかけたり・・・」と、大漢和辞典の「ヘ」の義をあげ、③には「物怪、悪霊などが乗りうつる」、④には「衣を重ねて着る」をあげ、「世襲する。襲名する」は5番目で、引用例も「観智院本名義抄(1241年)」と、かなり後世のものとなっている。
 注目すべきは、「補注」として、「おそう」は「漢文訓読に特有の語」であると記していることである。前述の土佐日記を除き、和文の中での用例は少ない、ということだ。(土佐日記も、中国唐代の詩人賈島(かとう)の詩を訓読して取り入れたものという。)

 日本での「襲」という字と「おそふ」という訓の初期の使われ方を探るために、日本書紀を調査した。(書紀で「おそ(ふ)」と訓じる字はほかに「壓(圧)」と「掩」があるが、これらについては後述する。なお、古事記や万葉集では、襲や壓、掩の字はほとんど使われていないようである。2)
 書紀では、襲は固有名詞の「ソ」という音を表すために多用されるが、それ以外の用例について別表に示す。
襲が襲撃の意味で使われている個所は13あり(上述の「掩襲」を含む)、いずれも古訓で「おそ(ふ)」と読まれている。大漢和辞典では襲に「おほいうつ」の意もあるとするが、書紀の古訓を見る限り、襲を「おほふ」と訓じる例はなく、「おほふ」の場合は掩を用いている。
 他の意味で使われているのが3か所であるが、いずれも他の漢字との2字熟語を熟字訓として読んでいる。「馬を飼う(襲養=かふ)」、「占いが重ねて吉と出た(襲吉=よし)」、「先祖の名に因んで(襲據=よりて)」の3例である。

 以上から、次のように考えることができるだろう。
 日本語で「おそふ(おす、おおふ)」と言っていた概念(=襲撃する)を漢字で表すとき、意味が近いと思われた「襲」などの字をあてた。
 それ以外で襲が使われた前述の3例では、他の漢字と合わせて用いられている。引用した日本書紀の校注者などによると、中国の文献に「襲養」「襲吉」の使用例があるとのことである。3) となると、日本語の「おそふ」として襲の字を当てたわけではなく、「飼う」「重ねて吉と出た」と言いたいときに、中国で使われていた表現を熟語として採用したということであろう。
 3番目の例では、「襲據」を「よりて」と訓じている。この語は、筆者が参照した辞書等には見出せないが、據(拠)も「よる」という訓を持つ字であるので、襲據は同義の字を連ねた既存の熟語であると思われる。
 以下は推測であるが、以後の文献でも、中国での使用例にあわせて襲撃以外の意味で襲の字が用いられ、日本人にも襲の多様な語義が認識されるようになり、これに伴い、襲の訓読みである「おそふ」という日本語も、漢字の襲の持つ多様な語義を持つようになったのではないだろうか。

 一つの日本語に対応する漢字を選んだあと、その漢字の持つ別の意味も、その日本語が持つようになった。こういう例は探してみると他にもあるかもしれない。

追記:「あそぶ」という日本語に遊学の義が加わったのも、漢字「遊」の字義によるものという。早稲田大学 笹原宏之教授の講演(2014.8.23 漢字教育士研修会)及び「大辞林」第3版(三省堂:weblio辞書)による。


 続いて、日本書紀で「おそふ」と読まれる襲・壓(圧)・掩の3文字の使い分けについて考えたい。
襲を「おそ(ふ)」と読む例の一つに、神功紀49年3月の「将に新羅を襲はむとす」という記事がある。百済から日本への貢物を新羅が奪い、自国のものとして貢いだという事件があり、新羅を懲罰するために襲撃しようとした場面である。しかしこのあと、ある人の助言「兵衆(つはもの)少くは、新羅を破るべからず。(中略)軍士(いくさびと)を増さむと請へ」を容れ、兵力を増強し、ついに新羅を「撃ちて破りつ」となったのである。当初は、不意打ちをかけて少しばかりの損害を与えるつもりだったと思われ、これを表すには襲という字が適切と考えられたのだろう。
 また、壓を「おそ(ふ)」と読む例の一つは、神武即位前紀 戊午年8月の記事である。兄猾(えうかし)が新殿のうちに機(おし=釣り天井のようなものか)をこしらえ、神武天皇を饗宴に招待すると見せて暗殺しようとしたが、弟猾(おとうかし)の通報により逆に自分がその仕掛けに追い込まれ、「壓(おそは)れ死ぬ」(圧死した)ということである。先に挙げた日本国語大辞典の①の語義であるが、「おされ」と訓じてもよいところであろう。もう1か所は「制圧する」といった意味である。
 一方、同年11月の記事では、兄磯城・弟磯城が即位前の神武天皇のことを「天壓神(あめおすのかみ)」と呼んでいる。威圧力のある神ということであろう。
 掩は、日本でも戦中までは、「掩護射撃」や「掩蔽壕」といった軍事用語でなじみがあった文字である。これを「おそ(ふ)」と読むのは4か所(上述の「掩襲」を含む)であり、そのうち2か所は襲撃する意味であるが、「掩襲」の場合は、「網でおそった」とあるので、「おおいかぶせる」というニュアンスも伝えるために使われたのかもしれない。しかし、皇極紀の、蘇我入鹿が人を使って山背大兄王を襲わせる場面では、掩が単独で用いられ、「おそふ」と訓じられている。大漢和辞典によると、掩はおほふ・おそふ・ふいをうつなど、襲と通じる字義を持っているとするが、この場合、襲と掩の使い分けかたが明確ではない。
 「おそ(ふ)」と読むうち襲撃以外の2か所は、「勢力を張る」といった意味で使われている。
 ほかに2か所で「おほ(ふ)」と読み、そのうち1か所は戦闘の場面であるが、「逆節(そむくもの)を掩ひ討ちて」とあるので、不意打ちというわけではない。

 同訓異字の例は多いが、それまで一つの概念と考えられ一つの大和言葉しかなかったものについて、微妙に違うニュアンスを表せる多種類の漢字が到来したときには、どの場面でどの漢字を使うか、当時の人(日本人か渡来人かを問わず)は頭を悩ませたことであろう。しかしそのおかげで日本語の世界は豊かになり、感情も事実も細やかに表せるようになったのである。


注1)(財)日本漢字能力検定協会発行「日本語教育研究17」(2011年)所収論考「『襲』と『おそう』」を全面改稿。     戻る

注2)  襲・壓(圧)・掩の3文字について、「日本書紀(原文)を全文検索」、「古事記(原文)の全文検索」、「万葉集検索システムVer 2.2.0」〈未完成〉(いずれもウェブサイト)で検索した。
 古事記には3文字とも用例がなく、例えば九州の部族「クマソ」は、書紀では「熊襲」であるが、古事記では「熊曾」と表記されている。
 また万葉集には、「釋迦能仁も金容(こんよう)を雙樹に掩(おほ)ひたまへり。(釈迦も御身体を沙羅双樹に蔽われて亡くなった)」(山上憶良「悲歎俗道假合即離易去難留詩一首并序」)という用例があるのみである。
 8世紀初めには、これらの3文字は日本で使われ始めたばかりだったと思われる。 戻る

注3) ・(良駒を)襲養(か)ふこと年兼ぬ。(欽明紀7年7月)
  「襲養」は「文選」(中国南北朝時代の詩文集)の賦序の句(岩波文庫注)。
・卜(うらな)へるに便ち襲吉(よ)し。(敏達紀4年是年)
  康煕字典に、「春秋左氏伝」哀公10年「卜不襲吉」を引く。注に「襲は重なり」。
・其の祖(おや)の名に襲據(よ)りて臣・連とす。(孝徳紀2年8月)       戻る


参考・引用資料

大漢和辞典  修訂版 諸橋轍次著、大修館書店 1986年

説文解字  後漢・許慎撰、100年:下記「説文解字注」より

説文解字注  清・段玉裁注、1815年:影印本第4次印刷 浙江古籍出版社 2010年

新訂字統  普及版第5刷 白川静著、平凡社 2011年

新訂字訓  普及版 初版第1刷 白川静著、平凡社 2007年

字通  初版第12刷 白川静著、平凡社 2006年

日本国語大辞典  第2版 小学館 2001年他

日本書紀  第1刷 坂本太郎他校注 岩波文庫 1994年

古事記  34版 武田祐吉訳註 角川文庫 1970年

康煕字典(内府本)  清、1716年[東京大学東洋文化研究所所蔵]:PDF版 初版 パーソナルメディア 2011年